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この度我々診療所も若いスタッフの熱意からホームページをもっと有効活用しようとの声が上り、私自身もそれはこの時代に必要な事だと後押しをした。そんな中、まずは院長から一筆と、学会活動の論文作成の締め切りに追われていた頃を思い出しながら今机に向かっている。 最近は医療事故、幼児虐待、青少年の犯罪などNewsを見ていても耳を覆いたくなる毎日である。私がその中で思うことは医療事故を始めとした種種の事故の根底にはコミュニケーション(Communication)が欠如しているのではないかということである。“Communication”とはラテン語の“Communicare”に由来しており、“Com”は“共通の”、“munis”は”義務“と言う意味を持つという。つまりこの語は、我々が普段認識している“Communication”とはいささか違った、もっと深い意味合いを含むのものであろう。最近の社会現象はCommunication(共通する義務)の欠如が引き起こしていると思う。 医師という立場から言うと、医師は患者に対しただ情報を提供し開示し統計的数字をあげることが患者―医師のCommunicationではないと私は信じる。しかしこんなにもCommunicationを失った時代はないのではなかろうか。ある時期から医者は“お医者様”になり、一方的に患者に対して上から押し付ける関係ができ、その反動からか患者側からも(特にマスコミが媒介となり)Communicationがとりにくい状態を生み出してしまっている。 私が最近経験した嘆かわしい事例を2件紹介したいと思う。 1例目は直腸肛門周囲膿瘍(肛門からその上の直腸にかけて膿ができ、直ちに切開を必要とする外科的疾患)の患者である。その患者さんに対し手術の必要性を説いたところ手術を拒否するのである。その原因は“麻酔”であり、高視聴率の番組の中で脊椎麻酔の合併症をさんざん言われ手術よりも麻酔が怖いとの事であった。なんとか説得して手術にまでたどりついたが患者さんは手術の際極度の緊張状態にあった。さらには手術後も本来あるべきのない便意(手術の前に全部出しきっているため)に悩まされ朝まで眠れないという状態を過ごした。2−3日後すべてが上手くいきだんだん安心してくると顔色や表情が別人のように明るくなった。 2例目はお子さんである。嘔吐、発熱、腹痛で来院したが極度の脱水状態にあったため入院し治療が必要だと母親に説明した。しかし最近の報道の影響で怖くて入院できないというのである。ぜったい事故が起きないという保障がないと言うのである。 このような医療不信に陥っている人たちに出会うたびにやりきれない思いがする。 この2件の事例は医療者側がCommunicationを怠ってきたつけが今になって患者さん側からもCommunicationの拒否として現れてきているのだろう。これは両者にとって悲劇以外の何者でもない。 宗教観であれ義理人情であれ任術であれ、Communicationが存在することすなわち共通する義務が存在するところで、社会は安定し温かみを持つようになる。Communicationとは逆の意味で、個人の権利を法律とマスコミを盾に主張し過ぎると、内部告発と暴露合戦などという醜い時代に突入してゆくのではないだろうかと寒々しい思いがする。 IT時代と言われる現在、情報化社会が根付いていく中でCommunicationすなわち情報の伝達 、共有する義務についてもっと考えてみてもよいのだはないだろうかと思う近頃である。 長くなったが、この辺で私の一人言を終わりにしようと思う。なお元来筆不精の故、乱筆乱文をお許し願いたい。 大塚北口診療所 |
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